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会議の歴史

ドイツ語圏日本研究者会議の歴史


初期のドイツ語圏日本研究者会議

  • 1935年、ベルリンのハルナック・ハウスにてオットー・キュメル主宰の第一回ドイツ語圏日本研究者会議が行われる。ベルリン日本研究所が東京の日独文化研究所と共同で「ニッポンー日本学研究誌」を発刊(1944年まで。編集はラミング)。この年ベルリン在住の日本人は約三千人で、自分たちで学校(ベルリン日本人学校)を経営していた。1939年夏までドイツ文学者垂井博士が日本人学校校長を務めた。
  • 1936年、日独防共協定締結。日本研究所10周年を記念し、第二回ドイツ語圏日本研究者会議を開催(12月5日)。

出典:「フンボルト大学日本学科とベルリンの歴史」ベルリン・フンボルト大学日本言語文化センター